T.T.の読書日記

小説,エッセイ,ノンフィクションなどの感想を書きます。

「邪馬台国はどこですか?」鯨統一郎

邪馬台国はどこにあったのだろう?

中学校・高校の社会の授業で畿内説と九州説があることを習った人が多いだろう。

一見このような歴史系の考察本のように思えるこの作品は,実は歴史ミステリーである。

本作品ではとあるバーを舞台に4人の大人たちが歴史に関する議論を繰り広げる。

6本の短編小説からなるこの本は,どれもバーの客である研究家・宮田がとんでもない説を提唱して幕を開ける。

例えば本作品の題名にもなっている邪馬台国について,宮田は岩手県にあったという説を提唱する。学校教育を受けてきた人間なら耳を疑うような説である。これに対してバーのマスターや客たちが反論するのだが,邪馬台国岩手説にも不思議と筋の通った論理があり,読み終わるころには邪馬台国岩手県説の信者になってしまう。

そんな本である。

否定する根拠もどこかにあるのだろうが,

「この話がフィクションである保証はどこにもない」

くらいのスタンスで読み進めると一番楽しめる気がした。

また,歴史の知識がもう少しあればまた違った楽しみ方もできるのだろうなと感じた一冊だった。

「雑談力が上がる話し方 30秒でうちとける会話のルール」齋藤孝

高校のころ,非常に面白い授業をする国語の先生がいた。その先生は授業の冒頭は必ず雑談から入る。野球観戦に行ったらホームランボールが飛んできた話や,昔の教え子の話など,授業の本筋とは関係ないのに6年以上たった今でも頭の片隅に残っている。雑談の落とし方も非常にうまく,気づいたら授業テーマに突入しているため,大抵の授業で睡魔に襲われる自分のような生徒も集中して授業を聴くことができた。そんな先生のような雑談力を手に入れるべく,この本を読むことにした。

著者である齋藤孝先生は様々なテレビ番組に出演し,にこにこと笑っている姿が印象深い。大量の知識をお持ちにもかかわらず,それをひけらかすことなく謙虚な姿勢が非常に好印象な先生である。本書の中で「雑談とは,会話を利用して場の空気を生み出す技術のことです。」とある。なるほどと思った。雑談力のある齋藤先生の周りの空気がいつも穏やかであることもうなずける。

 

本書の中で個人的に興味を持った話題をいくつか列挙する。

雑談のベストバランスは相手8対自分2

話し上手は聞き上手,とはよく言うが,雑談においても相手に主導権を渡す方が盛り上がるらしい。先ほども申し上げたように,雑談は場の空気を和ませるためにするもの。そうであれば,相手の話をうまく引き出し,相手を気持ちよくしてあげた方が場の空気もよくなっていくのは当然のことであると思った。

悪口は,笑い話か芸能ネタにすり替える

これは非常にためになった。私の周りにも悪口で盛り上がる人間は多い。その場にいない知人の話題は共感性も高く,悪口ならばなおさらであろう。しかし,陰湿な話題で盛り上がった雑談は決して後味の良いものにはならないため,いつも自分は一歩引いて会話の輪から外れてしまう。たまに,話題を変えようと,話の軸をずらすことも試みるが大抵これもうまくいかない。芸能ネタにすり替えるという案はなるほどと思った。話を急に方向転換するわけでもないので,うまく話題をそらせる気がした。今度使ってみようと思う。

困ったら「アメちゃん」。自分のコミュニケーションツールを持つ

齋藤先生はフリスクを使って会話を広げるらしい。エレベーターなどで偶然居合わせた微妙な距離感の人にはフリスクを会話の糸口とし,雑談を始める。非常に上級者な気もするが,機会があれば試してみようと思う。

ニュートラルな人は雑談がうまい

人間が集まるとどうしてもグループや派閥ができる。そんな時,グループや派閥に属さずに,全員と同じスタンスでかかわれる人が求められる。割と自分はこういう人間を目指している節がある。よくない話題に流れて行っても,その人がいるとうまく話題がスライドし,場があれることがないような存在。雑談力を磨けばこのような存在にもなれるらしい。頑張ってみようと思う。

 

他にもためになる話はたくさんあった。雑談力など,勉強するようなものだとも思わないが,このようなテクニックを知っておくと雑談の質が少しずつ向上してくような気がした。

 

「品がいい人は,言葉の選び方がうまい」山口謠司

自分もついに4月から新社会人となるため,社会人としてふさわしいような言葉遣いの参考になればと思い読み始めた1冊。

正直,自分の期待していたような内容ではなかった。

「おなざり」と「なおざり」の使用法の違いや「叔父」と「伯父」の使用法の違いなど,なるほどと感心する雑学は多かったが,品のいい言葉遣いという題名に合致しているかというと疑問が残った。「了解」という言葉のうんちくなどは,すでに多くの人に何度もこすられているネタであり,時代錯誤な感じがした。

実際にビジネスや日常で使える言葉選びについて学びについて学びたかった自分としては物足りない内容であったが,言葉遊びの雑学としては面白い内容であった。

日常の話のタネに困ったら本書の内容を思い出してみようと思う。

 

「読んでいない本について堂々と語る方法」ピエール・バイヤール

読書ブログをつけている私にとって禁忌ともいえるこの本を,題名のインパクトに負けて手に取ってしまった。

題名からは小手先のテクニックを伝えるようなハウツー本を連想させるが,実際は本質的な読書論である。

一般的に読書というのはじっくり内容を理解して読まなければならず,流し読みした本や過去に読んで忘れてしまった本は役に立たないとされている。しかし,この考え方により,多くの人は読書に高いハードルを感じる。また,読書する際には,深く読み込むため,文章の枝葉末節にまで注力する。こんな読み方をしていると自分の本当に読みたい本にまで手が回らず,読書の幅が狭まってしまう。著者であるバイヤールは,本書の中で「本を読んでいない」とは何かを定義し,読書に対して高いハードルを抱える人たちを救済してくれている。

本書ではバイヤールが自身の読書論を,数々の小説の登場人物を引用することで,ユーモアを交えて説明している。

本書の中に,「教養があるとは,しかじかの本を読んだことがあるということではない。そうではなくて,全体の中で自分がどの位置にあるのかが分かっているということ,すなわち,諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており,その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである。」とある。非常に共感した。

著者が言いたいのは,「木を見て森を見ずな考え方になるな」ということである。ここでいう森とは,自分自身のことである。一冊の本を読んだときに,その本単体に対峙するのではなく,自身が過去に本を読んできた経験と照らし合わせ,その本に向き合いなさい,ということである。これにより,私たちは他の本との位置関係によっても,その本について語ることができる。

一冊の本を読んだといっても,その読み込みレベルには段階がある。過去に読んだ本やその読み込みレベルは人によって様々であるため,その批評も人によって様々なものになる。つまり,たとえその本に対する読み込みは浅かったとしても,人は自分の読書経験と照らし合わせ,その本に対する感想を語る権利を有しているのである。

かなりまとまりのない文章になってしまった。当初期待したような内容ではなかったが,内容としては期待値を十分に上回っており,再読する価値のある本であると感じた。

「夏草の賦」司馬遼太郎

土佐藩の大名であり,四国統一を果たした長曾我部元親の一生を描いた歴史小説

元親が四国でなく本州に生まれていたならば,天下を取ったのは織田信長ではなく長曾我部元親であったかもしれないと思わせるような理想のリーダー像が描かれている。

元親はとても臆病な性格をしている。しかし,その短所は戦への慎重さへとつながり,準備を怠らなかった元親は勝利を積み重ねていく。織田信長との対戦の際には,絶体絶命の危機を迎えるが,本能寺の変により難を逃れた。まさに,運と実力を兼ね備えた理想のリーダーであると思う。臆病な元親とは対照的に明るく軽率な性格をした妻の菜々もとても親しみを持てるキャラクターであった。

飛ぶ鳥を落とす勢いだった若かりし頃の元親に対し,晩年,秀吉に屈服し,追い込まれていく元親には切なさを感じた。息子である信親の戦死や,最愛の妻の死によって憔悴していく様はとても悲しかった。毛利との同盟や,家康への加勢が実現していれば,などと思うが,これが一地方大名の限界であったのであろう。

 

「モルフェウスの領域」海堂尊

チームバチスタシリーズのスピンオフのような位置づけの医療ミステリーである。

舞台はコールドスリープが実用化された近未来である。「モルフェウス」は,9歳にして網膜細胞腫という眼の小児がんを患い,将来的な治療法の確立に期待し,5年間の眠りについた。主人公である涼子は,彼の5年間の「凍眠」期間中の生命維持業務を担当している。モルフェウスと2人だけの空間で過ごすうちに彼への愛着を深めていった涼子だったが,彼が目覚める際に重大な問題が発生することに気が付いてしまう。

現実にコールドスリープが実用化される際にも問題となるであろう,人間の尊厳の守り方に焦点を当てた小説である。

ライトな作品だと思い,読み始めたが,思いのほかテーマが深く,考えさせられる内容であったため,楽しく読むことができた。

個人的には幼い涼子に医療知識を享受してくれた医務官に心ひかれた。名前は忘れたがチームバチスタに出てくるあの先生であろう。

2010年に書かれたこの小説は刊行当初は完全なフィクションとして書かれたのであろうが,このような問題が現実になってくるのも時間の問題であろう。

海堂作品は複数作品読むとそれぞれの点と点がつながる楽しみがある。久しぶりに他の作品も読みたくなった。

「運命の人」山崎豊子

1972年に起きた外務省機密漏洩事件(通称「西山事件」)を題材とした山崎豊子さんのフィクションである。

山崎作品でいうと「沈まぬ太陽」と同じタイプの正義感の持ち主である主人公が巨大な組織に闘いを挑むという物語である。ジャーナリスト出身である山崎の作品はどれも綿密な取材をもとに執筆されているため,どの作品も現実性があって面白い。本書に至っては80歳を超えて連載を始めているのにこの完成度は圧巻である。

物語としては沖縄基地返還の際の日米の密約文書を外務省の女性事務官から入手した新聞記者である弓成は国から裁判を起こされる。一連の騒動ののちに沖縄にたどり着いた弓成は,沖縄の人たちが味わった苦しみの歴史を目の当たりにし,,,という話。

日本で唯一地上戦が行われた沖縄という土地の人々の苦しみの歴史にも触れることができ,米軍基地問題なども,より身近に感じられるという点では,小説でありながら社会勉強にもなる作品である。

他の山崎作品同様,ドロドロとした人間関係も魅力の一つであり,4巻という大作ではあるが,飽きることなく読み進めることができた。

読み応えのある文学作品が読みたい,というときにおすすめの作品である。