T.T.の読書日記

小説,エッセイ,ノンフィクションなどの感想を書きます。

「読んでいない本について堂々と語る方法」ピエール・バイヤール

読書ブログをつけている私にとって禁忌ともいえるこの本を,題名のインパクトに負けて手に取ってしまった。

題名からは小手先のテクニックを伝えるようなハウツー本を連想させるが,実際は本質的な読書論である。

一般的に読書というのはじっくり内容を理解して読まなければならず,流し読みした本や過去に読んで忘れてしまった本は役に立たないとされている。しかし,この考え方により,多くの人は読書に高いハードルを感じる。また,読書する際には,深く読み込むため,文章の枝葉末節にまで注力する。こんな読み方をしていると自分の本当に読みたい本にまで手が回らず,読書の幅が狭まってしまう。著者であるバイヤールは,本書の中で「本を読んでいない」とは何かを定義し,読書に対して高いハードルを抱える人たちを救済してくれている。

本書ではバイヤールが自身の読書論を,数々の小説の登場人物を引用することで,ユーモアを交えて説明している。

本書の中に,「教養があるとは,しかじかの本を読んだことがあるということではない。そうではなくて,全体の中で自分がどの位置にあるのかが分かっているということ,すなわち,諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており,その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである。」とある。非常に共感した。

著者が言いたいのは,「木を見て森を見ずな考え方になるな」ということである。ここでいう森とは,自分自身のことである。一冊の本を読んだときに,その本単体に対峙するのではなく,自身が過去に本を読んできた経験と照らし合わせ,その本に向き合いなさい,ということである。これにより,私たちは他の本との位置関係によっても,その本について語ることができる。

一冊の本を読んだといっても,その読み込みレベルには段階がある。過去に読んだ本やその読み込みレベルは人によって様々であるため,その批評も人によって様々なものになる。つまり,たとえその本に対する読み込みは浅かったとしても,人は自分の読書経験と照らし合わせ,その本に対する感想を語る権利を有しているのである。

かなりまとまりのない文章になってしまった。当初期待したような内容ではなかったが,内容としては期待値を十分に上回っており,再読する価値のある本であると感じた。