T.T.の読書日記

小説,エッセイ,ノンフィクションなどの感想を書きます。

「明るい夜に出かけて」佐藤多佳子

私は趣味といえば一番にラジオと答えるくらいにはラジオが好きである。

今回読んだ「明るい夜に出かけて」は3年で終了してしまった伝説的番組『アルコ&ピースオールナイトニッポン』を題材とした佐藤多佳子さんの青春小説である。

佐藤多佳子さんの小説といえば中学時代に「黄色い目の魚」や「一瞬の風になれ」を読んだことがある。どちらも陸上やサッカーを現実世界のニュアンスを残しながらフィクションに落とし込んだ作品で,面白かった記憶がある。

今回はラジオが題材となっているのだが,いちリスナーとしては『カンバーバッチ』や『宇宙海賊ゴー☆ジャスの覚醒』など,聴きなじみのあるフレーズがたくさん登場し,とても面白かった。小説としても,登場人物の感情の変化が事細かに描かれており,楽しんで読むことができた。

 

簡単にあらすじを説明すると,

接触恐怖症が遠因で心を閉ざし,大学を休学中のコンビニバイト富山が様々な人たちとの出会いを通じ,色を失った世界に色味を取り戻していく。

この主人公富山が『アルコ&ピースオールナイトニッポン』のハガキ職人であり,ラジオを通じた出会いや感情の変化も見どころの一つである。

 

また,リスナーとしては巻末の解説を朝井リョウさんが担当していることも見どころの一つである。リスナーであり,作家の朝井リョウさんならではの解説でありここも面白かった。

 

「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健

普段は自己啓発本のような本はあまり読まないのだが,そんな私でも耳にしたことのある名著『嫌われる勇気』を今回は読むことにした。

 

一個人の趣味嗜好を長々と書き連ねた文章ではなく,いわゆるソクラテス式問答法のような形で,哲人が青年をアドラー心理学の真理へと導いていく様子が対話形式で書かれているため,かなり読みやすかった。

私自身,本を読んでその思想に影響を受けることはめったになく,本書の場合も多分に漏れなかったのであるが,共感できる考え方も多く,これを人生のバイブルにしている人が多くいることも納得できる内容であった。

 

「大切なのは何が与えられているかではなく,与えられたものをどう使うかである」

 

この言葉は本書に出てくる名言の1つである。(p.44)

私はこの言葉にアドラー心理学の考え方が詰まっているように感じた。

本書の中で登場する例を用いて説明する。

例えば家族で食事をした後,洗い物が発生したとする。母親であるあなたは洗い物をしているが,他の家族は寝転んでテレビを見ている。ここで”洗い物をさせられている”という感情ではなく,"仲間である家族のために,洗い物をしてあげている"という意識を持った方が気分よく洗い物をすることができる。

また,アドラー心理学は個人心理学であり,私自身がどう生きるかを考えるものなので,そこに他者の心理は介入しない。そのため,たとえ悪意を伴った行動をされたとしても,そこにネガティブな意味づけをしなければその人は不幸にはならないのである。

同時に,自分自身も他者の心理に介入してはならない。

子供のころに親に「勉強しなさい」と言われ,「今からするつもりだったのに,言われてやる気がなくなった」と答えた経験はないだろうか?

これこそ他者の心理への介入である。

親は子供に勉強をすることによって得られるメリットやデメリットを提示することはできるが,勉強をするかしないかの意思決定まで介入する権利はないのである。

 

ここであげた例はアドラー心理学のほんの一部にすぎない。多くの人がバイブルにするだけあって,本としても面白いので共感の有無にかかわらず,ぜひとも一度は読んでみてほしい本の1冊であると感じた。

 

「女系家族」山崎豊子

山崎豊子さんの小説は面白い。

過去に『白い巨塔』や『運命の人』などを読んだが,出てくる人間のほとんどが欲望に忠実であり,打算的に生きている。

この度,久しぶりにそんな世界観を味わいたくなり,Amazonの検索ランキングで上位に来ていた『女系家族』を読むことにした。(TVでドラマがやっていたのですね)

 

この話はとある老舗木綿問屋"矢島商店"が舞台となる。矢島商店は代々,家付き娘が婿養子をとる女系の家であった。物語は矢島商店の社長,矢島嘉蔵が死去するところから始まり,遺産相続をめぐって,嘉蔵の娘である三姉妹(藤代,千寿,雛子)と嘉蔵の愛人文乃,矢島商店の大番頭宇市を中心とした骨肉の争いが繰り広げられる。

 

一言でいうと

"胸糞悪い"

が,そこに面白さがある小説であった。冒頭でも言った通り,山崎豊子さんの描く人物は皆,打算的でずるがしこい。しかし,とてもリアルなのである。著者も言っている通り,まさしく"現代の怪談"である。

登場人物それぞれの感情のもつれあいはもちろんのこと,法律や季節の行事まで事細かに描かれているため,読み進めるほどその世界観に没入することができた。

 

物語のラストも痛快であり,全編を通じて飽きることなく物語を楽しむことができた。

「社会人大学人見知り学部 卒業見込」若林正恭

オードリーの若林さんといえば人見知りや,女の子が苦手などということがいじられがちだが,この本はそんな若林さんが日常の中でふと思うことや,常々感じていることを3ページくらいにまとめ,書き連ねたものである。

芸人さんの本らしく,テンポよく進んでいくのでとても読みやすかった。

 

一言でいうと若林さんは相当自意識過剰だ。たとえば,『スタバ』で『キャラメルフラペチーノ』の『グランデ』をオーダーするのが恥ずかしいという話が出てくる。スタバに行くという行為,キャラメルフラペチーノのグランデを注文するという行為の一つ一つが自分と不釣り合いで,他人から「うわっ!」と思われることが怖いらしい。

ここまでひどくはないが,その気持ちは少しわかる。私も少しおしゃれな服屋さんで店員さんに勧められた服を試着した時などは,不釣り合いな服を着た鏡に映る自分が気恥ずかしく,鏡から目をそらしてしまう。

 

大人数の飲み会が苦手という話も面白かった。話に入っていけず一人になってしまう時間ができてしまい,早く帰りたくなるらしい。とても共感できた。若林さんのようなテレビに出ずっぱりの売れっ子芸人でも同じことを感じるのだから,もしかすると世の中に飲み会が苦手な人は少なくないのかもしれない。

 

スタバや飲み会一つで話を発展させ,面白おかしく書くことのできる芸人さんにあこがれを抱く一方で,これほどあれこれと気を悩まして生きているとしんどいだろうな,とも思わされた作品であった。

「マネー・ボール」マイケル・ルイス

皆さんは野球を見るとき,何に注目しているだろうか?

 

純粋に試合を楽しむ人もいれば,打率や防御率などの数値を見ながら楽しむ人もいるだろう。中には,OPSやWHIPなどのいわゆるセイバーメトリクスを見ながら楽しむ人もいるかもしれない。

この本はメジャーリーグセイバーメトリクスの考え方と,効率的な球団経営手法を持ち込んだビリー・ビーンという人間の物語である。

 

物語はビリーがメジャーの球団,ニューヨーク・メッツに入団するところから始まる。ビリーは子供のころから運動をしても,勉強をしても,とてもよくできた。メジャーリーグの入団テストでもその身体能力を見せつけ,ドラフト一巡目でメッツに入団する。

しかし,その期待とは裏腹にビリーはメジャーリーガーとして大成することはできなかった。3度の移籍を経てついに自分自身の才能に見切りをつけたビリーは,自らスカウトになることを志願した。

スカウトとして働いていたビリーは,当時のゼネラルマネージャー(GM),アルダーソンと出会い,衝撃を受ける。弁護士出身のアルダーソンは野球の知識はまるでない代わりに,知識欲は旺盛であった。過去の試合データを調べ,試合中の戦術から選手の評価方法まで,科学的にやっていく方が有利だという根拠を得たアルダーソンは,出塁率を軸にした新たな"球団文化"を作り上げた。

科学的な分析手法が確立された現在では当たり前のことかもしれないが,当時としては目新しい試みであった。それまで主観的に野球を見ていたビリーは,客観的な数値に基づいて評価する,この新たな視点にとても感銘を受ける。

ここから,野球のデータ分析本を読み漁ったビリーは,1997年,アルダーソンの後釜としてオークランド・アスレチックスGMに就任する。本書では,ここからビリー・ビーンの球団経営者としてのサクセスストーリーが描かれていく。

 

映画化により脚光を浴びた本書だが,セイバーメトリクスという過去に使われてこなかった手法を持ち込んだ点もさることながら,安く買って高く売るというビジネスの基本を野球の世界に持ち込んだ点に面白さを感じた。

何をするにしても大金をはたけばそれなりの成果は得られる。当時のメジャーリーグもそうであり,打率や防御率のようなわかりやすい指標で高い数値を残した選手をニューヨーク・ヤンキースのような金持ち球団が高値で買い,いつも上位に居座っていた。

ここで打率や防御率の指標に疑問を持ったことが,ビリー・ビーンが名GMと呼ばれる理由なのであろう。ビリーはセイバーメトリクスを駆使し,市場で評価されていない隠れた名プレイヤーを安値で買いたたき,アスレチックスはヤンキースなどの金持ち球団と対等な戦いを見せる。年俸総額3倍のチームと対等に渡り合ったのである。

"あたりまえ"に疑問を持つこと。これがビリーが成功した要因であろう。新しい視点を持って,最小のリソースから最大の結果を出すこと。これはビジネスの世界でも常に求められるテーマである。野球好きなビジネスマンにはぜひこの本を読んでほしいと感じた。

「軌道」松本創

本書は,福知山線脱線事故の被害者遺族である浅野弥三一さんが加害者企業であるJR西日本を変えるために闘う様を,神戸新聞の元記者である著者,松本創さんが記録したものである。私は福知山線脱線事故当時まだ小学生だったため,事故についての知識が浅く,より深く理解するために本書を読むことにした。

 

浅野さんはこの事故で妻と妹を亡くし,娘が重傷を負い,被害者遺族となった。妻と妹の通夜の席に現れたJR西日本の会長が放った言葉は,いわゆる「決まりきった謝罪の言葉の羅列」であった。さらに,最後の「今後また補償の話もありますんで」という言葉に浅野さんは激怒した。事故を起こした会社のトップでありながら当事者意識を全く感じなかったからである。そして,浅野さんは追及の矛先を会長個人からJR西日本という組織へ移していく。妻と妹が死ななければならなかった「不条理」を解明し,「二度と,あのような不条理で泣く人を出さない」ため,事故の原因究明と組織の変革を求めたのである。

事故調査が進みJR西日本の組織風土が明らかになっていく中で,事故や安全の責任を個人に帰する考え方が見えてくる。誰にでも起こりうるヒューマンエラーを防ぐ仕組みを作らず,その責任を個人に帰していたのである。そのため,ミスの発覚を恐れる現場の人間はミスを隠蔽し,風通しの悪い企業風土が出来上がってしまっていた。

本書では浅野さん等の努力により,企業風土が改善していく様が記されている。最終的には2016年,当時のJR西日本真鍋精志社長が「ヒューマンエラー非懲戒」という方針を打ち出した。鉄道業界では初めてのことであった。

こうして完全に生まれ変わったかに見えたJR西日本であったが,2017年12月,またしても重大インシデントを引き起こしてしまう。幸いにして,被害者は生まれなかったが,これもまた,ヒューマンファクターによるものであった。福知山線事故後に反省し,改めたはずの安全第一の企業風土が最前線にまで浸透していなかったのである。しかし,浅野さんはこのインシデントに失望しながらも,「あなたたちのやってきたことは間違っていない。前向きにやってくれ。」とコメントしている。本書は最後に,「おそらく(安全管理の)終着駅に着くことはない。」「『不断の努力』を続けていくしかない。」という言葉で締めている。

 

人は誰でもミスをする。本書ではヒューマンエラーを前提とした仕組み作りの大切さが一つの要点として書かれている。本書の解説で重松清氏も書かれているが,この作品を読み進めていくと,個人に責任を帰する仕組みを作った井手氏を悪者にするとすべてがきれいにまとまる。しかし,松本さんはそれをせず,井手氏のインタビューを含め,事実だけを書き連ねた。これは事実の受け取り方を読み手の感情にゆだねているのであろう。実際,今の世の中は人のミスに対して厳しいものになっているように私は感じる。しかし,それでは成長していかない。一つの組織を成長させ,安定的に動かしていくためにはヒューマンエラーが発生してもそこから修正を図ることのできる仕組み,また,そのエラーを将来に生かしていく仕組みを作っていくことが重要であると認識させられた。

また,浅野さんの強い覚悟も強く印象に残った。奥さんと妹さんを亡くし,娘さんも重傷を負ったにもかかわらず,その悲しみと怒りを封印し,事故の原因究明,そして組織の変革を求めていくことは並大抵のことではない。そこに使命感をもって闘い続ける熱量と根気には畏敬の念を抱いた。浅野さんの為にもこれからもJR西日本は「不断の努力」を続けていくことが大切なのだと感じた。