T.T.の読書日記

小説,エッセイ,ノンフィクションなどの感想を書きます。

「軌道」松本創

本書は,福知山線脱線事故の被害者遺族である浅野弥三一さんが加害者企業であるJR西日本を変えるために闘う様を,神戸新聞の元記者である著者,松本創さんが記録したものである。私は福知山線脱線事故当時まだ小学生だったため,事故についての知識が浅く,より深く理解するために本書を読むことにした。

 

浅野さんはこの事故で妻と妹を亡くし,娘が重傷を負い,被害者遺族となった。妻と妹の通夜の席に現れたJR西日本の会長が放った言葉は,いわゆる「決まりきった謝罪の言葉の羅列」であった。さらに,最後の「今後また補償の話もありますんで」という言葉に浅野さんは激怒した。事故を起こした会社のトップでありながら当事者意識を全く感じなかったからである。そして,浅野さんは追及の矛先を会長個人からJR西日本という組織へ移していく。妻と妹が死ななければならなかった「不条理」を解明し,「二度と,あのような不条理で泣く人を出さない」ため,事故の原因究明と組織の変革を求めたのである。

事故調査が進みJR西日本の組織風土が明らかになっていく中で,事故や安全の責任を個人に帰する考え方が見えてくる。誰にでも起こりうるヒューマンエラーを防ぐ仕組みを作らず,その責任を個人に帰していたのである。そのため,ミスの発覚を恐れる現場の人間はミスを隠蔽し,風通しの悪い企業風土が出来上がってしまっていた。

本書では浅野さん等の努力により,企業風土が改善していく様が記されている。最終的には2016年,当時のJR西日本真鍋精志社長が「ヒューマンエラー非懲戒」という方針を打ち出した。鉄道業界では初めてのことであった。

こうして完全に生まれ変わったかに見えたJR西日本であったが,2017年12月,またしても重大インシデントを引き起こしてしまう。幸いにして,被害者は生まれなかったが,これもまた,ヒューマンファクターによるものであった。福知山線事故後に反省し,改めたはずの安全第一の企業風土が最前線にまで浸透していなかったのである。しかし,浅野さんはこのインシデントに失望しながらも,「あなたたちのやってきたことは間違っていない。前向きにやってくれ。」とコメントしている。本書は最後に,「おそらく(安全管理の)終着駅に着くことはない。」「『不断の努力』を続けていくしかない。」という言葉で締めている。

 

人は誰でもミスをする。本書ではヒューマンエラーを前提とした仕組み作りの大切さが一つの要点として書かれている。本書の解説で重松清氏も書かれているが,この作品を読み進めていくと,個人に責任を帰する仕組みを作った井手氏を悪者にするとすべてがきれいにまとまる。しかし,松本さんはそれをせず,井手氏のインタビューを含め,事実だけを書き連ねた。これは事実の受け取り方を読み手の感情にゆだねているのであろう。実際,今の世の中は人のミスに対して厳しいものになっているように私は感じる。しかし,それでは成長していかない。一つの組織を成長させ,安定的に動かしていくためにはヒューマンエラーが発生してもそこから修正を図ることのできる仕組み,また,そのエラーを将来に生かしていく仕組みを作っていくことが重要であると認識させられた。

また,浅野さんの強い覚悟も強く印象に残った。奥さんと妹さんを亡くし,娘さんも重傷を負ったにもかかわらず,その悲しみと怒りを封印し,事故の原因究明,そして組織の変革を求めていくことは並大抵のことではない。そこに使命感をもって闘い続ける熱量と根気には畏敬の念を抱いた。浅野さんの為にもこれからもJR西日本は「不断の努力」を続けていくことが大切なのだと感じた。